渡良瀬遊水地 その2

【 渡良瀬遊水地 その2 】
●渡良瀬遊水地は、その湿地面積の約半分15k㎡が、ヨシ(アシ)原です。
土手から見ると一面ヨシの海(^-^)
そのヨシでのヨシズ作りが大きな産業でした。
谷中村が廃村になってから、
土砂にヨシが自生するようになったそうです。
●ハート池の谷中湖とは、かつては谷中村(明治22~明治39)があったからです。
谷中村は水田での農業、漁業、養蚕業、スゲ笠づくりと豊かな生活をしていました。
しかし、河川の集まる低湿地地帯で、洪水常襲地帯でもありました。
そのため、各民家では土を盛った水塚を築き、穀物や味噌を高い所に貯蔵していました。
洪水時には母屋から揚船で避難していました。
夏の土用の頃の洪水は、カミナリ水といい、
髭剃り後のように、田畑は泥水でおおわれたようです。
●明治43年の大洪水時に、上流の足尾銅山から鉱毒が流れ、政治家の田中正造はじめ、
谷中村の住民の反対運動が広がり社会問題となりました。
●結果、この低湿地帯を渡良瀬遊水地にする計画となりました。
ですから谷中村の人々は廃村で移住を強いられたという大きな犠牲のもとに、今があります。
お読みくださりありがとうございました(^-^)

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